6.生田伍長、壱岐上空でB−29を撃墜
生田憲生伍長は出撃命令一下、愛機の「隼」戦闘機に搭乗、僚機と共に上空に舞い上がった。
福岡上空辺りに獲物を求めて索敵中、約5千米の中高度で逃走するB−29を捕捉、これを
屠るべく直ちに攻撃を開始した。空中戦闘の極意の要諦は、敵機より高位に昇り、急降下で
優速を保ち、背後から奇襲攻撃を加えるのが鉄則。
生田機は高度約5千5百米の上空で、B−29の後方上空に舞い上がった。そして急降下攻
撃で、B−29の背後から発動機に12.7粍機関砲2門の必殺の一撃を叩き込んだ。
更に反転して勇敢にもB−29の真っ正面から、手練の一撃を見舞ったら、B−29の発動
機からさっとガソリンの白い煙を引き、その直後には朦々たる黒煙を噴き出し、次の瞬間に
は真っ赤な火を噴き出した。しかしB−29は次第に高度を下げ乍らも必死に飛行を続けて
いた。生田機は逃走するB−29を確実に撃墜すべく、遠く壱岐上空まで追撃し、更に雨霰
の如く弾丸を発動機に叩き込んだ。
流石に空の要塞と豪語していたB−29も、猛火に包まれ墜落寸前となった。その時、敵の
飛行士7名が、卑怯にも未練にも落下傘に敗残の身を託して、初山村当田海岸近くに降下し
た。B−29は、其の直後、初山村・梅津新田の山中に墜落爆発炎上した。
生田伍長は、初山村上空を2周して撃墜を確認した後、自らの「隼」戦闘機の弾丸も尽き、
燃料も残り少なくなったので、母基地に凱旋帰投した。
降下した敵兵のうち2名は死亡、5名は直ち我が憲兵隊に捕獲され、壱岐要塞司令部の営倉
に連行され、翌日福岡の油山捕虜収容所に護送された。これが少し前迄は、北九州各都市を
無差別に爆撃して、数百名の無辜の乳幼児や婦女子を虐殺した敵兵の姿であった。
http://www.geocities.jp/ikikansai2/hurusatokonjyaku/b2...
返信する