>>105 >>104は
>>102の書き込みだが、勉強し直してみるよスマソ。
三菱 A6M 零式艦上戦闘機
零戦は、陸上戦闘機よりも高性能の最初の艦上戦闘機であった。
1940年9月13日の零戦の緒戦は成功だった。重慶を攻撃する爆撃機の護衛
を務めた少数の零戦が、中国軍戦闘機27機を撃墜したのである。零戦の
損失は1機もなく、ここに第二次大戦前半を支配した"無敵零戦"の神話が
始まった。
1941年12月7日の開戦当時アメリカのパイロットたちは敏捷なゼロ戦に対
して何の警戒もしていなかった。緒戦におけるアメリカ軍の被害は甚大で、
日本軍の迅速な勝利のせいもあってアメリカ人と日本人の心に零戦(ゼロ戦)
の名声を刻みつけた。
零戦に挑戦した最初のアメリカの戦闘機は、ずんぐりしたF4Fワイルドキ
ャットだった。零戦は軽量なため、速度、加速力、上昇率、運動性に勝って
いた。ワイルドキャットは降下上昇戦術と2機の連携、それに被弾に強い
特性によって、なんとか巻き返すことができた。
1942年6月、日本は最初の敗北を喫した。ミッドウェイ海戦で234機の航空
機と4隻の空母を失い、これで零戦の大型空母からの作戦は終わりを告げた。
戦争が進むに連れて日本は次第に守勢に立たされる。
新しいアメリカの戦闘機、P-38ライトニング、F4Uコルセア、F6Fヘルキャット
が登場してきたが、日本側は零戦の後継機の必要性を見誤っていた。
結果的には4年前に戦争を始めたときと同じ機種で戦う羽目になり、1945年
には零戦は次々に投入されてくる新型機に対抗できなくなってしまった。
神風特攻隊の話は何度も書かれている。最初に特攻が行われたのは、1944年
の10月のフイリピン海戦の際である。特攻機は、確かに襲来する連合軍艦隊
に大きな被害を与えはしたが、結果は明らかなことである。331機の零戦が
発進して、目標に届いたのは158機でしかなかった。 三菱は3879機の零戦を
生産し、中島も6215機を送り出している。
COCKPIT (MITSUBISHI A6M5 ZERO-SEN) ドナルド・ナイボール著より抜粋
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